( ̄▽ ̄)前回、ブログにも書いたとおり、山梨学院の甲子園「初優勝」は実現されました。やはりオラの予言は見事に的中。
下馬評では「報徳学園が有利」で、決勝戦の新参者(チャレンジャー)である山梨学院が勝つことを確信していたのは、多分10人中ひとり(オラ)くらいでしょう。
ほんとに不思議な感覚なんだけどね、しゃかりきになって「絶対に勝つんだ!」「優勝するんだ!」と、無理に願望をかなえようとして意地を張ったりムキになるわけでもなく、頑張って勝ち取るんだあ!というわけでもない。もう既に「勝った現実しかない」という浮動の安心感のようなものがあったんだよね。
とにかく、大会初日の第一試合から決勝戦に至るまで、全てにおいて「ナンバー1」になるべくしてなったという不思議な流れが、山梨学院にはあった。クジ運からしてもね。
特にエース投手の林君は、いわゆる勝星を「もってる」タイプ。
マウンド上では独特の落ち着いたオッサン臭さがあった。
それが吉田監督と一緒になってチーム全体にドシっとした安心感を与えていた。
投打の要として活躍。効率よいピッチング。
「決勝戦も投げ終えたけど、なんなら明日も投げれますよ」といった「疲れ知らず」にも見える風情。実力的にも精神的にも「確実に勝利する風格」のようなものを備えているように見えたので、特別な「リキみ」もいらなければ、心配もいらない・・という感じだった。
そんな林でも、決勝戦では「おかしなボーク」で先制点を献上し、2点を先取されてしまった。
けれど、それでいい・・負う立場のほうがいい・・逆に「これからが楽しみだ」・・とワクワクした。
その後、5回裏の一挙7点の猛攻は、まさに甲州軍団:武田武士の旗印である「風林火山」そのものだった。突破口はやはり投打に活躍してきたエースの林。はやきこと風の如し、侵略すること火の如く、動かざること山の如し。当初から静かなること林の如し・・というより、とにかくアタフタせず、落ち着いていた。
林投手の投球フォームは、「早実の荒木大輔」投手にちょっと似てるかなと思った。
フテブテしさとタフさは、「横浜高校の松坂大輔」っぽかったし、
制球の良さは、「浪商の牛島」あたりに似てたかな・・と。
今回は、山梨学院の活躍から久しぶりに見た甲子園だったけど、
その歴史は時代が変わっても連綿と受け継がれてるんだなあ・・と
感慨深いものがありました。
ちょっと残念だったのは、7点をとられたとはいえ、もう少しばかり、報徳学園側の執念というか、粘りを見せてほしかったこと。前日、優勝候補の大阪桐蔭に勝利したあとの疲労も多少影響したのか、「負けが頭をよぎってしまう」選手たちの気力そのものが、空気的にガクッと落ちたのがわかった。それでも好守備や打撃でふんばりを見せていた選手もいた。監督がエース投手交代のタイミングを逸しただけでなく、7回あたりには「好投手の林から5点もひっくり返すことは無理そうだ」・・というので、春の大会の優勝は諦めて、夏の大会に向けて投手のマウンド経験ならしで調整をしようとするフシが感じられたこと。報徳学園が3点にしたのは8回。4点差くらいならワンチャンスで逆転可能。延長に持ち込めば、相手投手の林は投球制限で降板する。だから、まだ負けると決まったわけじゃない、諦めるな・・と、そういう意気込みと試合展開が、過去にはよくあったと思うのだけど・・。
実際、物事をひっくり返す際には、誰も予想しない、一見バカ丸出しのように奇想天外で、無駄すぎるほど無理なエネルギーが生じる。そこにこそ、「本物の実力と面白さ」がでてくるものなんだけどね。
無駄な動きのない、効率の良い野球。
試合展開も早く、あまり時間をかけない。
いまどきの高校野球のスタイルは、
管理する側が極力「時短」を好んでいるように思われる。
それに対し、
無駄かもしれない、でも、もしかしたら逆転できるかもしれない。
いや、できる。やれる。やるんだ。
間に合わないのに全力でベースにスライディングしてくらいつく。
相手の投手を疲れさせるために、何球でもファールで粘り、
バントの場面でもないのに、わざとかきまわすようなことをする。
そういった「余計なエネルギー」が、少なくなったような気がした。
試合展開にもよるだろうけれど、
ちょっとばかり、以前みていた甲子園の空気とは違う感じがした。
体力不足でもエネルギー不足でもない。ここ一番の爆発力はある。
無駄に発揮しないだけ、疲れるから・・とでもいう感じかな。
いちいち、その都度、諦めない・・というのも、無駄なエネルギーなのかと。
さっさと次へ向かう・・無駄になりそうなところに意識を置かない・・と。
ただ見てる側からすると、あっさり経過しすぎて見応えがない気がするけど、
やってる側からすれば合理的で、無駄な疲労は少ないに越したことはない。
子供の頃から高校野球は大好きで、
毎年、TVにかじりついて
ほぼ全試合ぶっ通しで見ていたこともあったので、
ちょっとした解説者と同じくらいの見識はあると思うんだけど、
近頃は、TVそのものがつまらなくなり、
野球にしても、変な大人たちの作為※を感じるのが嫌になり、
殆ど見なくなってしまった。
※例えば、組み合わせから細工して、
大会当初から強豪校をぶつけて
観客の動員や視聴率を上げようとする魂胆とか・・
選手よりも外部の人間が宣伝的に目立とうとするとか・・
大リーグにならって投球制限を執拗にかけるとか・・
高校野球をとりまく環境や事情が変わっていき、
次第に関心が薄れてしまった。
久しぶりに甲子園を見ると、
なんだか以前と景色が違うな・・と思えば、外野が人工芝になっていたり。
大リーグ球場のような「人工的な芝生整備のスジ」や
毒々しい緑色が気持ち悪いだけでなく、
ボールのバウンド具合が昔の芝生のときとは微妙に違うことも。
情報だけは知っていたけれど、実際にマジマジと見たことは無かった。
更には、コロナのせいで、4年間、「声だし応援」ができなかったことや、
今大会でそれが解禁されたことなど、説明を聞くまで知らなかった。
バカな大人たちの都合で、なんてことをしたんだ・・と。
いろいろあったけど、明るさが戻ってきた。
その節目の時に、「山梨」の文字が閃き、開かずの間の封印を突破した。
(地元の人間ならよく知ってるここだけの話・・)
山梨学院といえば、その昔は、頭の悪い不良のたまり場に屯す連中(いわゆる「日本版ヤンキー」)が通うのが相場で、すぐ隣の高校へ通っていたオラなどは、「学院へ行った友達」が、バカそうな連中と一緒に自転車で通って行くのを見るたびに、「あ~あ、あんなになっちゃってなあ~」と、ため息をついてたもんです。それが、学長が変わってからスポーツの強化でみるみる全国区に名を馳せ、箱根駅伝でも常連となり、サッカーでも全国優勝し、遂には野球でも全国優勝を果たしたわけですが、その実、他県から留学生を集めて強化した結果の賜物。県内生まれの子たちではないのがゾロゾロ。なので、かつての市川高校のときとは違い、若干、喜びは微妙になるわけですが、それでも、やっぱり、山梨県勢、初の甲子園優勝であることに変わりはないので、そこらへんは寛容に喜び、素直に祝いたいと思います。
山梨県の歴史に残る快挙だった。
ありがとう!おめでとう! 山梨学院!
やったゼ、山梨県! 甲子園、初優勝!!