12月3日の判決に関し、海水注入を巡る混乱の背景を説明しておきたい。
今回の事件はもともと東電の責任逃れ体質に起因している。福島原発事故では炉の操作、つまりオペレーションについては東電の責任であり、住民避難については私が本部長の原災本部の責任と原災法で決まっている。
例えば放射性物質を放出するベントというオペレーションを行う場合、基本的には東電が判断して実行するが、住民避難にきわめて大きな影響があるので、東電は事前に承諾を求めてきた。しかし、原子炉への注水など直接住民避難に関係のない操作は東電の判断で行われた。3月12日の最初の淡水の注入開始も東電の判断で行われ、私に対して事前の相談はなかった。淡水がなくなった後の海水注入も東電の判断で行わることには何ら問題なかった。
判決では「海水注入を中断させかねない振る舞いがあった」というが、東電の吉田所長に海水注入を止めろと言ったのは東電の武黒氏など東電幹部であり、私が指示したわけではない。武黒氏も原子力の専門家で冷却の為に海水注入することの重要性は分かっているはず。それにもかかわらず何故武黒氏が止めろと言ったのか。ここに東電の責任逃れ体質が表れている。
つまり武黒氏は午後6時からの会議で海水注入の準備には1時間半かかると言っていたのに、会議が終わってしばらくした7時過ぎに吉田所長に電話したらすでに海水注入が始まっていた。この時点で海水注入開始の報告を私を含め関係者にしていれば何の問題もなかった。それなのに東電の武黒氏は、「官邸がグジグジいっている」と言って海水注入の開始を自分の見通しの時刻に合わせるために止めろと言ったのだ。このような、東電の「おもんばかり体質」が混乱を起こしたのだ。
武黒氏など本店にいる東電幹部の指示に対して、福島第一原発の吉田所長は海水注入の継続は原子炉の冷却に絶対必要と考え、東電幹部の言うことを無視して海水注入を継続した。英断であった。
安倍晋三議員は海水注入の継続を知らなかった東電本店の幹部と一緒になって「海水注入を止めたのは菅総理」と断定し、混乱の責任をすべて私に押し付けようとしたのだ。
今回の事件はもともと東電の責任逃れ体質に起因している。福島原発事故では炉の操作、つまりオペレーションについては東電の責任であり、住民避難については私が本部長の原災本部の責任と原災法で決まっている。
例えば放射性物質を放出するベントというオペレーションを行う場合、基本的には東電が判断して実行するが、住民避難にきわめて大きな影響があるので、東電は事前に承諾を求めてきた。しかし、原子炉への注水など直接住民避難に関係のない操作は東電の判断で行われた。3月12日の最初の淡水の注入開始も東電の判断で行われ、私に対して事前の相談はなかった。淡水がなくなった後の海水注入も東電の判断で行わることには何ら問題なかった。
判決では「海水注入を中断させかねない振る舞いがあった」というが、東電の吉田所長に海水注入を止めろと言ったのは東電の武黒氏など東電幹部であり、私が指示したわけではない。武黒氏も原子力の専門家で冷却の為に海水注入することの重要性は分かっているはず。それにもかかわらず何故武黒氏が止めろと言ったのか。ここに東電の責任逃れ体質が表れている。
つまり武黒氏は午後6時からの会議で海水注入の準備には1時間半かかると言っていたのに、会議が終わってしばらくした7時過ぎに吉田所長に電話したらすでに海水注入が始まっていた。この時点で海水注入開始の報告を私を含め関係者にしていれば何の問題もなかった。それなのに東電の武黒氏は、「官邸がグジグジいっている」と言って海水注入の開始を自分の見通しの時刻に合わせるために止めろと言ったのだ。このような、東電の「おもんばかり体質」が混乱を起こしたのだ。
武黒氏など本店にいる東電幹部の指示に対して、福島第一原発の吉田所長は海水注入の継続は原子炉の冷却に絶対必要と考え、東電幹部の言うことを無視して海水注入を継続した。英断であった。
安倍晋三議員は海水注入の継続を知らなかった東電本店の幹部と一緒になって「海水注入を止めたのは菅総理」と断定し、混乱の責任をすべて私に押し付けようとしたのだ。