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森友学園の籠池泰典・前理事長「安倍首相はエセ保守」元NHK記者のインタビューに断言。3月6日に初公判

インタビューの全文は次の通り(以下、敬称略)。
聞き手=大阪日日新聞論説委員・記者(元NHK記者)相沢冬樹

──国策捜査だという意味は。

泰典 もともと私たちが開校を目指した小学校というのは、安倍首相も昭恵夫人も関わっていました。安倍夫妻と一緒にこの学校をつくっていこうということで話が進んでいたんです。

ところが途中で国有地の問題が取り上げられると、風向きが急に変わって、安倍首相は私のことを「非常にしつこい」と言ったり、私たちを切り捨てるような動きを見せた。

そして大阪府の松井(一郎)知事が「森友学園の補助金がおかしい」と言い出した。でも、この幼稚園に対する補助金というものはずっと以前から申請していました。

そして大阪府は毎年監査していましたけど、問題だと指摘されたことはなかったんです。それが突然、国有地の値引きが問題になった直後に、大阪府が急におかしいと言ってきた。

おかしいなら修正するし、詐欺罪に問われるような話ではなかったはずなのに、逮捕されてしまったわけです。

そして300日間も勾留された。行政の指示通りに対応していた分もあるのに立件されるなんて、釈然としませんよ。

これは、国有地の問題が安倍首相まで行かないようにするための国策捜査だったと受けとめています。安倍首相と松井大阪府知事は仲良しですから、私の口封じをするための「ナイスアシスト」でしょう。


──安倍首相と直接やりとりしたことはあるんですか。

泰典 第2次(安倍)政権が誕生する前、安倍首相がまだ一衆議院議員だった時に、昭恵夫人や安倍事務所を通して安倍さんに学園での講演をお願いし、了承を得ていました。

ところが講演直前の4日前になって、安倍さん本人から電話がかかってきたんですよ。僕の携帯にね。「あの、安倍晋三ですが」って。「ドタキャンで申し訳ありませんが、今度自民党の総裁選挙に出馬することになりまして、申し訳ありませんが今回の講演はできません」と。「申し訳ありません」と2回くらい言われましたね。


こちらで


転載元: しあわせの青い鳥

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今のうちにヤフーブログ書庫の全ての記事をFC2へ保存しておくために昨晩、FC2ブログを開設したので、試しにヤフーブログの記事を(アメブロ同様)コピペで張り付けてみました。アメブロとは見た目を変えたいと思い、背景テンプレートをいくつか探したところ、あまり納得いくものがなかったので、その中でも、まあまあ綺麗なものをチョイス。FC2はアメブロと違って背景のカスタム設定が容易ではないので、とりあえず、提供されている「共有テンプレート」の背景を設定し、表示体裁を確認してみました。

▼最初に選択したテンプレート(管理画面上でストック可能☑)


 
カスタム背景のリンク文字(緑色)が、
黒背景だと青色に変化してしまった。

まんまヤフーの記事をコピペして表示具合を確認。

ヤフーブログ上のカスタム背景で設定してあるリンク文字(緑色)が
FC2の背景テンプレート(黒色系)では「青色」に変化してしまった。

赤い文字も読みにくい。薄緑色の引用枠のカラーもないし、中の文字は
背景の黒に覆われてしまって見えなくなっている。

文字の大きさも「かんたんモード」より小さい。
※「カスタム背景を無効」にすると、小さい文字になる。
(ヤフーブログから移行する際の条件)


(感想)

FC2も、慣れればなんでもないかもしれないけど、
ちょっと、扱いにくい感じがします。

背景テンプレートを設定しない場合は、
標準でホワイトボードのような画面なので
初めのうちは、それでもいいかもしれません。

やっぱりヤフーブログが一番使い易いよね・・。

個人的にライブドアのブログはハナから使う気はないので、
そちらは試しません。

あと、WEB上の画面全体について「名前を付けて保存」する方法も
オススメできません。無駄な広告まで保存してしまうし、
画像はすごく小さくなって劣化してしまうので、
あとで貼り直しができなくなります。

ヤフーのサブのブログでFC2へ移行を試してみようと思いますが、
カスタム背景を無効にすると、文字が小さくなるだけでなく、
表示枠が右側に若干ズレてしまうので、残しておきたい表示体裁やコメントは、カスタム設定の表記をキープしたまま、スクリーンショットで記事や画像やコメントを画面ごと分割して保存しておくほうがより無難だと思います。

とりあえず、「アメブロ」と「FC2」の双方で続ける予定です。
どちらもまだ全然充実していませんが、ヤフーつながりで、
今後とも宜しくお願い致します。

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3月6日、甲州勝沼柏尾戦


土方歳三(実像)が語る幕末『甲州勝沼・柏尾戦』 慶應四年 戊辰戦争概略歴

土方歳三(実像)が語る幕末『甲州勝沼・柏尾戦』 慶應四年 戊辰戦争概略歴

甲州勝沼柏尾戦 慶應四年 戊辰戦争概略歴

2018/06/02 に公開
▼フルスクリーン再生※冒頭タイトルクリックでもOK

「土方の真相」に関する説明を追々する上で
必要不可欠な「布石」として鳥羽伏見戦から
簡単にまとめた実像トーク動画の第2弾です。
冒頭は回想部分として8倍速になっています。
(※見ていると自然に動体視力がアップします。)

土方音声:デジタルトークボイス
土方画像:PC光源染色による復元2Dモデル※3D試作中            
(作成技工は、いずれもオリジナル)


鳥羽伏見戦 2018/04/07 に公開
▼フルスクリーン再生


▼経過考察視点

鳥羽伏見戦後、江戸へ帰った新撰組は、2月中旬に甲陽鎮撫隊を結成して同月末より甲州(山梨県)へ向けて行軍するも、途中で寄り道して進軍が遅れ、3月4日には板垣(乾)退助率いる官軍のほうが先に甲府へ入り、甲府城を押さえた上、援兵も増強していた。

土方は「援軍要請」のために、また江戸へ戻った・・?

定説本では『日野の佐藤彦五郎家へ寄ってから服を着替えて江戸城へ向かった』とされているが、敵が甲府へ入ったことを知り、急に援軍要請に向かうにしても、昨日強行軍で越えた雪の笹子峠(難所)をまた戻って?日野へ寄って?江戸城の慶喜へ援軍要請しに行く?・・というようなノロマな真似をしている余地などとてもないはずで、第一、佐藤彦五郎も春日隊として出兵することになっていたし、当時の江戸城西の丸の警備をしていたという菜葉隊には既に出動の手筈はついていたようなので《菜葉隊が動く間もなく甲陽鎮撫隊は敗戦》、事ここに及んで、土方が当時の陸軍総裁だった勝安房(海舟)を通さず、単独で慶喜に援軍を要請しに江戸城へ出向く・・などということは到底考え難いものだが、そういうふうに書いてある。その際、内藤隼人(土方)が早籠で通ったらしいが、この『内藤というのは土方の父親の姓である』と示しながら、何故、内藤が土方の父方の姓なのか・・については一切説明がない。また、甲州敗戦後に土方か近藤が勝と面談したらしい折、『勝が土方と近藤を勘違いしたのだろう』などとする学者の推測には、もう笑うしかない。『甲州攻めを提言した者が誰なのかわからない』ともあった。甲陽鎮撫隊結成前に土方や近藤が勝と会っていないわけがない。仮初とはいえ大名と目附役を当時の陸軍総裁が一見もしないまま取立てや行軍を許可するわけがないし、また、勝に面会する際には事前に名前や名札を示し、面談時は書生がいて内容を記録するため、『勘違いしたのだろう』などは、到底あり得ないことだ。実際、新撰組が鳥羽伏見戦から江戸へ帰還して間もなく、土方なり近藤なりが勝と面会する機会は十分あったと考えるほうが寧ろ自然であるのに、この期間、どちらも絶対に勝とは会っていなかったのだ、そうに違いない・・などと思い込ませたいためなのか、不自然な推測や憶測で誤魔化しているようにしか見えない。ならば、おそらく土方が(別名で)勝と会った経過があるので、それをまた後日、出すことにする。

3月6日、東軍(新撰組の近藤ら)は官軍と勝沼・柏尾で交戦。
急ごしらえの兵力ではまともな戦もできず、3時間程度で敗走。
甲府占領を期した甲陽鎮撫隊の目論みは脆くも崩れた。

柏尾戦で甲州鎮撫隊が散り散りに敗走したあと、土方が近藤と再会するまでには4日ほど間があるが、何故、それほど遅れたのか、「定説本」に説明はない。土方が菜葉隊援軍要請のため、先に江戸方面へ向かっていたとすれば、あとから敗走して江戸へ戻った近藤と再会するのに左程の日数を置くことはなかったはずだ。作家の司馬遼太郎でさえ、その空白経過については『自信がない』『とにかくまだ帰らない、まだ帰らない、帰らない・・』としか触れてない。ここで、土方ナニモノゾ・・という疑問がまたシンクロすることになる。

行軍録の資料は小島鹿之助が写し書きをしたものだそうだから、真正の原本ではない。新撰組の行軍録は、慶應四年と慶應元年のものがある。その行軍録を見ると、土方の名は「目附」同等の場所に記載がある。慶應四年の甲州攻めの際、土方は寄合席(目附)を許可されている。慶應3年6月の段階で、既に幕臣の身分に取り立てがあったという流れで見ても、鳥羽伏見戦で敗退したあと「改めて」行軍編成を組む際、土方が「目附」同等の身分だったということに変わりはないはずだ。行軍録の『甲子皇州云々』との表題も、『甲州・八王(皇)子』の文字変換のようにも見受けられる。

戦争について興味本位で触れるつもりはない。
土方という人物そのものについて経過を辿る上で、
敢えて戦歴を取り挙げてみる必要があったので、そうしたまでのこと。
実際、「なんてマヌケな戦争馬鹿なのか」・・という見方もある。

甲陽鎮撫隊の「軍艦」(御目附役)…というのがキーワードで、
このときの行軍録が無いはずもなく、200名近くに及んだ隊士の行軍録を
机上の空論ないし理想として記載するほど土方が夢想家だったはずもない。
実際、軍事行為に及ぶ際の記録は必ずつけておくものだ。

※甲州(山梨県)は地元です。柏尾戦当時、勝沼では自分の母親の曾祖母(「ひいばあさん」)が『萬屋』という店を開いており、塩の専売のほか、味噌・醤油・米などの販売もしていたそうで、普段は茶店同様、牡丹餅などの和菓子も提供していたため、柏尾山に布陣した新撰組の隊士が店にやってきて、兵糧米や味噌などをドッサリ買い込んでいった・・という経過を、伯父がまだ若い頃に記載していました。内容はちょっとヘタな小説風で(伯父は宗教関係者のペンクラブ会員)、実在した人物の死んだ時期が違うため、動画作りの参考にはなりませんが、新撰組の隊士だった人物を曾祖母が一晩泊めたことは事実のようです。

甲州に新撰組が来て戦があるそうだというので、勝沼界隈の民家では、皆が恐ろしがって戸を閉ざしてしまったそうですが、曾祖母の『萬屋』だけは開けたままだったので、新撰組敗走後、薩長の兵士らも店に来て酒を飲んで行ったそうで、随分(銭儲けをした)強心臓の曾祖母だったようです。
東軍の兵は敗走途中に店で一息し、『釣りはいらねえ』と言って巾着ごと置いて去っていったそうです。新撰組のいずれかの人物と、以前から知り合いだった可能性もありそうです。

それで、『大菩薩峠』の著者である中里介山が曾祖母のもとへ取材をしに来たんだと思います。新撰組とはただならぬ接点があったわけです。

土方に執着してしまうのも、そういった理由からなのかもしれません。

後に市川雷蔵主演で映画になった『大菩薩峠』でも、山間の茶店として『萬屋』の暖簾がヒラヒラしている場面がチラリと映っていました。
中里介山も、おそらく幾多の取材の結果、慶應四年から抜け出せくなったものと思われます。
それで小説モノにするしかなかったのかもしれません。

曾祖母の名は『とう』と言って、昔の呼び名では名前の前に
「お(を)」を付けた呼び名になるため、
「お(を)とう」というふうに呼ばれたようです。
『大菩薩峠』の小説にも、「女中」か「使用人」の扱いでチラっと名が出ているそうです。

曾祖母の嫁ぎ先の御先祖は、武田二十四将の一人(足軽大将)で、
三枝昌貞(諱:マササダ)※実名「守友(モリトモ)」とも。
別名 三枝勘解由左衛門尉
死没
中世には古代に開創された柏尾山
大善寺(山梨県甲州市勝沼町勝沼)が
三枝一族の「三枝守国」によって開創されたとする由緒が成立

内藤昌豊(昌秀)=修理亮(しゅりのすけ)
「甲陽軍鑑」で信玄は、「修理亮ほどの弓取りともなれば、常人を抜く働きがあってしかるべし」と評して敢えて一通の感状も出さなかったという。一方の昌豊も、「合戦は大将の軍配に従ってこそ勝利を得るもので、いたずらに個人の手柄にこだわることなど小さなことよ」と感状を貰っていないことなど気にもかけなかったという。これは信玄と昌豊の信頼関係の厚さを示すものである。
ウィキペディアでは「昌貞」と「昌豊(昌秀)」の死没年が同一。
「昌豊」が「昌秀」だったりして、もうなんだかムチャクチャ。
そこで、『錦絵』が重要な役割を果たすことになります。
内藤修理亮(昌豊)の名で描かれているものがあります。
永禄10812日の時点では「工藤源左衛門尉昌秀」を名乗っている[3]。昌秀は永禄12826日の時点で「内藤修理亮」を名乗っており、断絶していた武田家譜代の内藤家の名跡を継承し、内藤姓に改め、同時に修理亮を名乗ったと考えられている(工藤氏の家督は兄・昌祐が継いだ)。昌秀は永禄1343日付武田信玄書状において「内藤修理亮」を称していることが確認され、同月10日には箕輪城代着任が確認される。

実際、手許にある三枝系図にも修理亮と名乗ったことが書いてありますから間違いないです。
動画の背景に錦絵を使っている理由は、素性に関連するもの・・と見ているからです。
これについてはまた後日、折に触れ動画で示すことになるでしょう。

文書での説明があまり上手にできず、申し訳ないです。

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蘇る男・・・3D「土方歳三」(試作2) 

結実のトシ…3D「土方歳三」試作(注:音響)

▼3D『土方歳三』Modeling iClone動画Preview - walking(GIF) 
※BGM
Under The Gun - Doug Maxwell
(YouTube Audio Library No Copyright Music) 

▼現在までの作業過程概要
画像→光源染色復元→2Dモデリング復元→3Dモデリング修復→3Dソフトのパイプラインで動画へモデルをエクスポート→ライト調整→簡易アニメーション(テンプレート)付加・調整→タイムライン調整→動作の一部をGIFアニメ化(進捗状況説明及びプレビュー画像紹介)。

前々回のGIFアニメでも紹介した「シャツ」の襟元やカラーを変化させ、ネックウォーマーは、アクセサリー付属品で適当なものがなかったので、やむを得ず動画ソフトにサンタガール(フリー素材)をダウンロードし、装備をチョイスしてモデリングソフト上で変形加工させました。相変わらず『土方もどき』の試作状態で恐縮です。

ソフトのバージョンが短期間でどんどんアップグレードされており、
現段階で使用している旧バージョンのモデリングソフトの造形が上位版(試用)のものとは若干異なるため(上位グレード版は皮膚の陰影や毛穴などの荒さが薄れたビニール製の「りかちゃん人形」に近い感じ)、旧バージョンの維持で引き続き造形の変形を行っているところです。

同系列の3D動画ソフトへモデルをエクスポートすると、モデリング段階のものとはライティングの仕様が異なるせいで、キャラクターの造形が随分違って見えてしまいます(冒頭GIFはミストというシーン照明にして若干明るくしましたが、それでもかなり暗め)。IBLなどで明度変更調整等を施さないと、ライトの加減によって「人形」臭くなるし、動作の途中でも表情の陰影の出方によって、ツクリモノっぽくなるのが欠点。

▼動画プレビュー画像1(外部の画像ソフトで明るさ等を調整)GIF

動かす際には、動画用ソフトのタイムライン上で動作がスムーズになるよう
調整しなければならないし、そもそもテンプレートの動作そのものが外人風で、
日本人の所作とは違うため、細かな修正が必要。
歯はまだイジってないから、喋らせると「馬の喋り」で怖いの(*´з`)。

アニメーションテンプレートは東洋人向け(商用)配慮も若干加味されているものの、
基本は欧米人系の動作が主体であるし(ソフトの製造もとが外国)、
いい意味では「表情豊か」でアピール性に富んでいますが、
その歩き方や、喋り方などはオーバー・ジェスチャー気味で、
グラグラと無駄な動作が多く、前後左右の身体のブレ具合が大きく、
心理的な面でも尊大な感じがして、だらしがないように見えます。

もっと小ぶりで規則正しく整然とした風情が日本人(特に武士的キャラクター)の特徴的な基本動作だと思うので、土方モデルの場合ならば、「凄然」「ぶっきら棒」「せっかち」「勝気」「情熱的」でありながら「潜伏的に気配を消す」「冷静」的な個性感を再現したいのですが、ブレを調整して静かな動きにすると、右上の動画のように、まるで歩行困難な老人みたくなるし・・なんだかな・・という感じです(*´Д`)。

それでもなんとか調整を重ねて見栄えを克服し、歩行の全身スタイルを
カメラ割りで切り替え、この記事で流しているカッコいいBGMにピタリと歩調を合わせながらオープニング的な動画を作ろうと考えています。

▼動画プレビュー画像2(外部の画像ソフトで明るさを調整)GIF
 漆黒の髪が理想とはいえ動画上はバックライトが効かずに輪郭不明。
 上の画像の背景は「フォグ色」を変更して水色に。標準は暗い灰色。
 短髪の黒髪パターンも試しましたが、どこか印象が違うのでNG。
※外人臭+宝塚男ッぽくて納得いってないのですが、とりあえず掲載。

被服の装備(コート)をマーケットプレイスで探してみたところ、最近アップされたコートでスタイル的にカッコイイものは、全てソフトの上位バージョン用のため着せてあげられず、靴もテンプレでは紐タイプなので、なんかちょっと違うし、ズボンも標準テンプレのジーンズを上着に合わせてカラー変化させただけなので、型的には足許に締まりがなくカッコ悪いため、『土方モデル全身スタイル』は、今のところ、お披露目は回避。髪や身体の造作も、まだ変更するところが多々あります。
黒髪も試しましたが、栗色系のほうが髪の造形や輪郭が際立つし、動画では前述したとおり照明が暗いので、あまり黒くしないほうが無難。

服はね、3D独特の穴がポツポツあくのよ~(;´Д`)~(泣)。
後ろの髪の毛がシャツの襟に突き刺さって貫通してたし~(爆)。
バージョンアップ版では簡単解決できる機能がついたみたい~(怒)。

なるべくお金をかけずに手作り感覚を大事にしながら、金より気を入れて再生させたい・・というセコさで申し訳ないです。金をかければより高度な具現化ができそうにも思いますが、技術が伴わないので宝の持ち腐れになるし、誰かが作った既製品を単に取って付けただけ・・というのでは、所詮見栄えだけが良くて魂の伴わない「3Dデク人形」が出来上がるばかりですから、追々「蘇生の過程」を語る上で「人形」では意味がなく、とにかく偶像のようではない、まるでそこに生きているかのような姿を3Dで再現することが第一の目標です。

年末年始に半額近いセールで上位ソフトが売り出されているのを見ながら、ゲットしようかどうしようか3日間くらい悩みましたが、バージョンアップされたものは逆に「綺麗な人形臭さ」が増しているし、円とドルの取引関係が年明けからまた変動する可能性があるだろうことも踏まえ、いやでも切り替えるざるを得なくなるのは春頃だろうと予測して、今のところはやっぱり断念。造形を変化させている最中にソフトのバージョン変動があると、また別に面倒な調整をやり直さなければならず、特に人相造作が背景画像照明の反映のせいで、今の状態から強制的に変わってしまうことを試用版で確認していることもあり(これが上位版に切り替えられない最大の原因)、今後バージョンアップした場合、改めて「画像の人相」に近付けるには更なる時間と手間がかかるのは必至となるため、とりあえず、現段階の状態を後々の作品との比較対象として留保しつつ、今後の方針予定を載せておくことにしました。

(以上)


以下は、造形の参照として過去記事から再掲載。
 
たまに息抜きで「オデブのトシどん」も登場させながら(後段画像)、随時、更新情報をお知らせできればいいかなと思っています。山の頂上付近へ近づくたびに、次から次へと新たな試練が出現するので・・。

▼デジタルボイス2Dモデル動画

①鳥羽伏見戦

(フルスクリーン再生動画※リンク)
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