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土方歳三、写真の真相と謎(予告)

 



この動画は、以前アップしたものを用いて
更なる追及要素を簡単に付け足しただけの「予告編」。
しかも、画像の顏は「はれぼったい目」の段階のもので、
もともと二重瞼でパッチリとしている本人の眼とは
だいぶ違っているものである‥ ということを
この時点では、先ずひとつだけ明かしておく。
 
歳三の写真に関しては、
紙媒体では表向き隠せても、
光の透過性で浮彫にされる「真相」がある。
紙幣の中央にある「円の透かし」の技法のようなものだ。
 
その写り具合から言えば、
「写真描画像」(多くは後に描画修正が施されたもの)
と言ったほうが、より正しいと思う。

薄紙(または描画や筆記の色付け)で覆われた下には、
公表することが憚れる、「ソレ」がある。

本の表紙などに、「ソレ」はそのままだと載せられないから、暗くして隠したのかな・・と。

佐藤家の子孫が記した
『他人に見せてはならない』という伝承記録には、
なにかを隠す必要があるからではないか・・と思う。

そして、小説家の司馬遼太郎氏も、
隠された「ソレ」とはまた別の「真相」について、
ある程度知り得たため、
土方歳三を主人公とした小説『燃えよ剣』を通して、
ひっそりとその描写を入れたのではないか・・と。

歴史学者などは皆一様に、
「知っていても知らぬふり」を
決め込んできたのでは?

御用学者らが為政者に阿ることは、
今も昔も変わりはないから。

ただ、感性の鋭い研究者の中には、
歳三に関して、
「死を急ぐというより、
 生きることに執着していたのではないか?」と
見る向きもある

資料で固められた定説によれば
「通称・歳三」という農民出身の武士は、
死を急ぐ人間に仕立てあげられ、抹殺されている。


土方関連本に掲載されている画像には、
『腰付近から上半身座像」(佐藤彦五郎所蔵)のほかに、
『楕円形枠内に収められた胸元までの像』や、
『ブーツ姿の全身座像』(これが結構多い)がある。

昔、公官庁で使用されたコピー機の種類に
「ジアゾ複写機」というのがあった。
機械の外側から液体を入れてコピーをとるのだが、
この方法で複写すると、
白い用紙がほぼ全面、薄紫色になって出てくる。

土方関連の本などに掲載されている『写真』の中には、
台紙の一部にジアゾ複写様の薄紫がかったものがあった。
ほかにも、ジアゾの後継複写機でコピーしたような、
「画像に白い亀裂の入ったモノクロ画像」などが載っていた。これはコピーの段階で黒っぽく出てきて失敗したものを、一旦、グシャッと丸めて捨てられ損ねたような風合いになっている。

それらが「オリジナルかもしれない!」と推定掲載され、ろくな検証もされないまま推移している。

明治維新以降の写真術による技工(偽工)の要素を調べると、後世で公開されている『写真』と称する幕末時代の画像の多くは、残念ながら、「お土産用」や教科書用に供された『加工細工の写真』が多いように思われる。

維新で活躍した坂本龍馬の画像も、
今では随分と丁寧に修復されて染色も施され、
「肖像写真風の絵」として美化されている。

どこかの都市伝説では、
『聖徳太子のお札の顔が、龍馬の顔のモデル』だったと
いう珍説も飛び出している。しかも、
『暗殺されたのは影武者で、竜馬は外国へ逃げた!』
という胡散臭い話をまことしやかにしていたりする。

TVは嘘でも流し放題。


「竜馬暗殺」は、また別の機会に取り上げるとして、
紙幣の機械を日本に導入したのはグラバーなので、
の意のままに動いた『武器商人の龍馬』の姿が
紙幣をベースに何らかの細工が施されて
世に出てきた可能性は無きにしもあらず・・。


▼パソコンで行う光源染色について

レイヤーフィルターなどは使わず、
モノクロ画像全体に直接RGB光源調整を重ねることで、
もともとの画像が持つ色素を全体的に浮かび上がらせる、という作業を、ありふれた趣味として行ってみたが、
これは無料ソフトのPicasa3(既にサポート提供終了)
簡単にできるもの。
全体的に黒茶黄の色素系になることが多く、
肌色に近い色調を出すのは難しい。
光の重ね合わせによる結果しか画像に反映されない。
白目の中に血走る毛細血管の色が出てくる段階まで
カラー効果の調整を手探りのサジ加減で繰り返す。

光源カラー化工程はそういう調整を重ねるわけだが、
原画の上にフィルターを重ねて色を乗せる方法ではなく、
原画の上にダイレクトに光源色彩変化を及ぼすため、
調整を重ねるうちに画像そのものが劣化してしまう。


▼モノクロないしセピア(写真)であるはずだが・・

モノクロ画像を光源調整すると、
全体的に茶色がかった色に変化することが多い。
「青」や「緑」という色は
殆どのモノクロ写真からは、まず見られないし、
フィルターで色素的に(意図的に)色彩を上から重ねたりしない限り出てこない。赤系に比べて青系は難しい。

ところが、土方上半身座像に至っては、
鮮やかな濃紺や深緑、濃い赤色や紫色が浮かんできた。
簡単な色調調整の段階から一気に浮かびあがった。

もとがプリペイドカード同様サイズの小さい画像なので
一見するだけでは茶黄色っぽく見えるだけだが、
500倍程度にサイズ変更してから拡大して見ると、
やはり奥に別の色がある…。スジがある・・瞳がある。

特に「緑」色は、錦絵などで使われている色味のようだ。
こんなことは、これまでのカラー化の調整中には
殆どあり得なかった。

色が所々浮かんできたため、
モノクロだと不鮮明な色素分布がわかってきた。
とはいえ、それが複雑怪奇に重なり合うだけでなく、
台紙である鶏卵紙の凹凸と同化しているため、
どこがどういう状態になっているのか判別が難しい。
しかし、それこそが写真の真相と歳三の歴史を追及する
きっかけになった。


▼代表的な土方写真像

『土方の解説本』などによく掲載されている
お馴染みの『ブーツ姿の全身画像』について言えば、
腰のあたりが『ピストル・ケース』なんてものに
スリ変えられている(と思う)。
写真を撮影する際、装飾変更があったからでは?・・と
いう見方をすれば、それもあり得るかも知れないが、
佐藤彦五郎所蔵の『上半身座像』とは、
趣が違いすぎる。人体構造や骨格も違う。

上半身座像』には、
不鮮明ながら、位牌か手桶か刀掛けのような
木製の木枠のようなものが浮き上がっている
それに小さく墨文字が記されているようだ。
周囲には鎖帷子の網目模様のような色がある。
そこに「ピストル・ケース」の存在はない。

どちらかの真偽を確かめようにも
ガラス湿板原本が確認できないのだから、
今あるものは、実像に近いか遠いか・・
程度の差異しかないので、
あまり問題視しないほうがいいのかもしれない。

幕末から明治期の写真台紙は「鶏卵紙」が使用されたそうだが、この台紙特有の複雑な凸凹模様は、光源の透過で結構鮮明になる。
しかし、『ブーツ姿の全身画像』は、逆に薄くなる。
更に、ヒートマップで色調を変化させると、
上半身と下半身の分布が明らかに違って見える。
下半分の部分は、方眼紙の上にヘタに描き足したようで、
もとの鶏卵紙の写真を複写し、それに追加して書き加えられたか、合成されたものではないかと推察する。

パソコン上で拡大すると、
ブーツ姿の画像の矛盾点が多数あることがわかる。
例えば、
・膝下のスネと椅子の足が同化している(特に不自然)
・膝の丸み(骨)がない(ブーツで隠れている)。
・膝がブーツと同化して角張りすぎている(不自然)。
・向かって左側の手が消えている。
・顔や頭部、襟や腕の服装が歪んでいる。
・骨盤と腹部の骨格形状が短小すぎる(内臓無視)。

このブーツ姿の画像が「本物である」と思いたい人は、
別にそう思っていても構わない。 
 
▼写真に浮き出た「色」に関連する錦絵

歳三自身の経歴や、土方家にも焦点を当てると、

「土方家は豪農で、歳三の様子は平々凡々だった」
としか最近の定説本には書かれていない。

けれども、少し古い時代の土方関連本の中には、
『土方家は二度も水害で被災し、
田畑や母屋の損失も著しく、
家を移転し、収穫も減り、
次兄の養父・嘉六(土方義巌)も
1860年(万延元年)9月5日に40才で急死』
とある。更に、
当時、土方家の借金は約230両』ほどあり、
義兄の佐藤彦五郎が救済に奔走した』との記載もある。

家は裕福な『お大臣』で、
何不自由なく平々凡々と育った・・というのとは
随分違うではないか。

実際、歳三が幼少の頃には、
何度か天災による水害があった。
田畑や家にその影響が及んでいる。


「通称・歳三(17~26才)」

この期間、歳三はどうしていたのだろう?
定説本には『江戸の松坂屋へ奉公に出たが、店の番頭と喧嘩して戻ってきた』『店の年増女中を孕ませた』『石田散薬の行商に出ると、なかなか戻ってこなかった』くらいしか書かれていない。

27歳のとき、近藤道場の試衛館の連中と一緒に浪士組に参加し、将軍護衛の名目で京都へ行き、江戸へ戻らず京都に留まり新撰組を組織した・・という流れが定説だが、
養父が急死したのは、歳三が26歳の時だ。
当時、土方家では230両の借金を抱え、佐藤彦五郎がその借金返済に奔走。家伝の石田散薬の行商だけで簡単に返せるような借金ではないし、土方家の家督承継問題も浮上。

その時分、江戸では攘夷運動が活発化し、幕府の大老が暗殺される事件も勃発し、時勢は不穏の一途を辿っていた。

そういう御時世で、
心はどこへ向かったのか。
何をすべきか、
平々凡々ではいられない・・。
嫁を貰って家督相続・・どころではなかったろう。

定説では「通称歳三の生家は石田村の豪農で、歳三の青年期は平々凡々としたものであり、商屋奉公に出ても続かず石田散薬の行商をしながら剣術道場稽古で汗を流し、少年期から武士になることをただ夢見ていた若者」ということになっているが、『お大臣』の前提が崩れると、歳三の焦燥感というものが時代背景とともにジワッと浮かびあがってくるようだ。

 
▼「土方(ヒジカタ)」という苗字について

土方義豊(後に「通称・歳三」)の実父は
「内藤隼人義諄 (よしあつ)」という人で、
義豊が生まれる前に死んだそうだ。

何故、『内藤』姓が『土方』姓になったのか?
という説明は定説本に記載されていないし、
見たことがない。
『内藤家』の系譜というのは遡ってどうなのか?

一方、実母の「恵津」という人は、
義豊が5歳のときに死んだという。
この「恵津」の旧姓や系譜は書かれていない。

当時、百姓の娘で「漢字名」は、どれほどいたろうか?
女子に漢字の名前を付ける・・とすると
百姓ではなく、武家の家柄の出ではないのか?

甲陽鎮撫隊結成時、土方は父方の姓である「内藤隼人」と名乗ったそうだから、
内藤隼人義諄とその妻恵津」の間に生まれた子で、
もとは「内藤義豊」ではないのか。
いつから「土方」になったのだろうか。
(疑問を持たないほうがおかしい。)

しかも、「隼人(はやと)」というのは
「代々、医者の家系の継承名」とされているそうだ。

内藤義諄が、
医者の家督を継いで「隼人」と名乗り、
いつ、どういう理由から、
「土方」隼人義諄になったのだろうか?
土方家へ婿養子にでも入ったからだろうか。

義諄の次男は「義巌(よしかね)」といい、
通称歳三の幼名は「義豊(よしとよ)」。

義諄の「義」という文字が継承されている。
先祖の一文字を継承するのは
武家の風習によくみられる。
「隼人」は医療従事者を示し、
「内藤」は藤原家の内舎人(うちとねり)で、
天皇直轄の医療機関でもある。

即ち、内藤(土方)隼人義諄というのは、
幕府の御典医に匹敵する人物だったのではなかろうか?

そんなふうに考察すると、
単なる「三多摩の農民兼田舎富裕医者の家系」というだけではなさそうだ。

昔の農民女性の名は大抵が「平仮名」だったろうから、「恵津」という「漢字名」を見ると、義諄・恵津夫婦は、共に武家の出身ではないかと思われるのだが、そういった名前に関する出自など、定説本にはどこにもない。彼らが武家の出身者だとすれば、義諄以前の家系図もあるだろうし、何代か前に遡った系譜が残されていそうなものだが、関連本にはそういった記載はなく、土方家の簡単な親族関係図のみが示されているだけだ。義諄や恵津の生年月日が分かっていながら、何故、その系譜を先代に遡って書けないのだろうか。

姓名ひとつとって掘り下げてみるだけでも
奇妙なことだらけだ。

ただでさえ不確実な「伝承」のうち、
とりわけ「不」の部分に関する事柄は、
歴史書の改訂版などで欠損して掲載され、
現代では完全に消滅し、
「無かったこと」にされてしまっている

無かったことが定説」と化し、
皆がそれを何の疑いもなく信じている。
見たこともない伝説を信じきって鵜呑みにしている。
何もわかっていないのに、わかった気になって、
わかったフリをして、疑問を抱こうともしない。
まるで思考停止になっている。

「資料などで、ある程度の事実は固定化されている」

という人もいるが、

「定説」をによる限界視野がそこにある。

文献上では嘘がまかり通るとしても、
人相、風体というのは、嘘がない。
時代が経過しても一致する。

その人物の、骨格を通し、目の色から心を見る。
 
文献にはない隠れた「事実」は山ほどあるようで、
不確定な「認識」など、木端微塵に吹き飛ばされる。

本人が時を超え、知らしめてくれる。
見えてくればくるほど、
その見極めも難しくなる。

 
通称「歳三」の通名を使った土方(内藤)藤原義豊。
「藤原姓」までオマケのようにくっついてくる。
その謎の多くは、青春期にありそうだ。

丁稚奉公や石田散薬を売り歩いて道場稽古するだけでは、
到底、軍隊の参謀など務まるわけがないはずだし、
そこに考えが及ばないのがおかしい。

青年期に流転を経験し、
その過程を隠さざるを得なかった事情があるはず。
それで、曖昧になっているのでは?
なにかの陰謀に関わったとか・・?
京都で浪士組を結成する前に人を殺したとか・・?
八王子の4人組にいたが人殺しをして村を出奔した
中島登は「新選組の古参」だったとどこかで見たが、
京都に残った13名の中に、中島登の名前はない。

身を隠し、名を変え、
「通称・歳三」と名乗り始めた理由があるはず。

そのことを、後年、最も明かしたかったのは、
誰あろう、死んだ(はずの)本人だったかもしれない。
多くの「印」を残して蘇りを図ったけれども、
その都度、なんらかの圧力によって潰され、
されたのでは?

そして現代では、存在そのものが消されてしまい、
別のものになっている。
それに気が付かないようにするために、
目が潰された。

画像の「ソレ」に焦点を当てることは
「暴き立てる」こととは違い、
痛ましいダメージのほうが遥かに大きい。

もし、単なる推測の域だけでない場合、
宗教まで絡んでくることになり、
そうなると、供養の関係にも関わる

それ故に、当初思っていたよりも
相当慎重にならざるを得ず、
御霊が導くまま、「その時」に従いたいと思う。
 
 
「確実なところ」を傍証として証明するには

まだ相当の時間と成果が必要となる。

検証要素は既に得たも同然の確信がある

そこには疑う余地のない「照合」がある。

歴史の裏舞台で激変せざるを得なかったこと、

そして、抹殺された、ある意志の念が

色彩の背後に埋没している。
 
 
「武士」や「侍」としての通称・歳三」の伝説的な生き様を尊ぶ傾向が強ければ強いほど、「別の説」などあるわけがないと思うだろう

なにしろ、自分自身が
別の説」など俄かに信じられないし、
ないほうがいいとさえ思うのだから。

信じるとか信じないとかいう都市伝説もどきの話ではなく、そこにあるものを、一体、どう理解すればいい?
という疑問の提示がしたいのだ。

発見してしてしまったのだから、仕方がない。

隠す理由もない。

そして、興味のある方々には、考察して貰いたい。

判別不能な領域の葛藤が、

そこに存在することを目視し、認識し、

判断して貰いたい。
  
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Secre

No title

そいでさ、土方関連本によく出てくる「漢文形態」の崩し文字みたいな手紙文があるけど、あれ、ワザと読めんように、あとから代筆されたものじゃないかと疑ってみてる。

誰がやったかって?・・・「狂証人」の大沼が怪しい。
漢文で「義豊の代筆」してたし。

本人、あんな文字流して書かんよ。しかも下手だし。

小島鹿之助がよくいろんな資料を写しているけれど、
そういう流れの一環で、
あとから清書(写し)て「作られたもの」というのが
結構ゴチャマゼになって資料でまとめられている・・・
という見方もアリ・・。

No title

土方の父の名は内藤隼人「義諄」(よしあつ)というのだけど、
「諄」(アツ)の字が入力して出てこなかったため、
「厚」と誤表示していたので訂正しました。
勢いで記すせいか、こういう漢字のミスは結構あり、
あとで気が付くことが多いので、あしからず(;´Д`)。

だけど、IMEで文字入力して出してみたら、
この「諄」という字は、
「シュン・ジュン・くどい・ねんごろ」
という読みが付いていて、
「アツ」・・?・・・とは、すぐに読めないし、
アツって入れても文字が出てこないけど、
「ねんごろ」とか「くどい」って入力すると
すぐ「諄」の字が出てくる。

義+諄「ねんごろ」=将軍家ねんごろ血統の子「義諄」

くどい?

気になる

No title

ジェントルマンさま、笑ってる場合じゃないですヨ~(^^ゞこれはもう使命みたいな感じ。

血筋でしょうかね~、
「勝沼」関連で、近いところに関係しているのが
ここ最近になって薄らわかってきただけなんですけどね。
新選組が勝沼戦の前に曾祖母の店に来て、
ミソだの米だの酒だのを買っていったそうですが、
そのときの赤銭をしまった箱を見てきました。
負け戦から逃げるときだけの商売じゃなかったそうなので、近藤勇なども、ひょっとしたら来たのかもしれないです。
勝沼は、新選組関連でも結構縁のある場所のようですから。

真相はね、とにかく、笑えませんヨ(*^^)v。

No title

短足おじさん、拘置所なら48時間以内に当番弁護士呼べるかな~。
伝馬町の牢屋よりマシかも~(*´з`)。

No title

恋夜姫さん
しかし、恋夜姫さんの土方歳三への思い入れは恐ろしいというほどのご執心ですね。~笑~

No title

一緒に拘置所で合いましょう!
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恋夜姫

Author:恋夜姫
恋夜姫Fc2blogへようこそ! Yahoo!ブログサービス終了に伴い、こちらへ記事を移行しました。今後ともヨロシクお願い致します。

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