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『刀は武士の魂などではなく、表道具は槍が正しい』と主張する他者ブログ記事に対する個人的見解。

『刀は武士の魂などではなく、武士の表道具は槍が正しい』(後段へ一部転載転載元転載元: 日本裏がえ史と雑文を載せてます。)と主張する他者ブログ記事に対する個人的見解。

そもそも『架空芝居のチャンバラ』を比較対象の前提として、

刀剣の実戦そのものを「ない」だとか「全部嘘」だとか言い切るというのが「完全なる間違いだ」と指摘するのみならず断言しておきたいと思います。

みなさんは、どう思われますか? 
どうでもいいっちゃいいことかもしれませんが、
以下は持論です。


架空の芝居の撃剣戦闘などは、本物でないのは当たり前ですから、実戦の抜刀とは比較になどならないものです。
こんなことは子供にもわかること。


刀を美術品でしか眺められない、想像力の無さからなのか、

せいぜい芝居の例を挙げて、あれは嘘っぱちだと印象付ける程度がオチなんだと思われます。


新撰組の実戦は、刀でした。
3人一組で相手にかかるという方式をとったそうですが、
では、『武士の表道具は槍が正しい』とする場合、
槍を持つ一人の相手に対し、
3人が刀で囲んだ場合の「実戦」を考えてみましょうか。


少なからずチャンバラアソビやドッジボールなどをした経験があれば、間合いや隙などのタイミングの掴み方は会得しているわけですが、実戦は剣術とも違うので、武道はこの際入れません。すぐに分かる実戦体感ですから、小難しい説法を唱えるまでもないことです。

他人が書いたものを鵜呑みにする必要もありません。


槍は、主に前方の相手に対する遠距離戦には非常に有効ですが、ひとたび間合いに踏み込まれてしまえば、刀のほうが断然優勢です。


3人に囲まれた場合、槍は前方の相手と主に戦っているとき、背後が相当ガラ空きになるものの、剛腕ならば振り回し続けることで、左右前後、刀の相手を自分の間合いの中に踏み込ませずに防ぐことも可能です。


ところが、やってるうちに動きに隙が出たり、動作が鈍くなりますね。長い槍を振り回し続ければ空気抵抗は刀よりも多大となり、大きな回転動作の上に、切先の方向性を敵に向けるためには、握り直しの構えと引きのタイミングも必要になることでしょう。

だいたい緊張した集中力がキープできるタイムは11分程度が相場なので、前後左右に槍を振り回し続ければ、疲労と共に必ず動きに隙が出ます。ドッジボールでも中に入ってる人間がボールの行先から離れる動作が緩慢になったりします。

直接、突撃せずとも小さな構えの刀剣側が3人で前後左右を囲みながら打突の隙を狙っていれば、槍側の動きが鈍くなったところで間合いに入り込むことも可能になります。

更に体勢が崩れたところを背後や横から一気に素早く斬り抜けるだけで刀剣側の勝ちとなります。殺すのではなく、負傷させてしまえば敵の戦力は削がれる。身体の肉を分断して切り伏せるまでもなく、戦力喪失させれば次の相手へ向かえます。


それが刀による戦闘の醍醐味でもあり、狙いです。


しかも、刺突したり、斬る場合は、防具を付けた相手の胴体ではなく、なるべく肌が見える顔面付近を狙えば良く、その点で「目」に防具は無いので、サッと横なぎに目を斬ってしまえば、あっさりと済みます。


『芝居は嘘だ』という点で言えば、戦場で目や顔、そして首や指を斬り、斬るだけでなく刀や槍で突き刺す・・酷い場合は顔の皮まで平気で剥ぐ・・といった、ある意味、残酷で残忍な血みどろの実戦そのものを、芝居ではそのとおりに再現できない(放送禁止)というところが、「嘘そのもの」ということにはなります。


血も噴出さないチャンバラ子供だましのような芝居ばかり見たり、作ったりしていれば(昔は結構時代劇でも血しぶきなどを飛ばしてる残酷なものもありましたが、今ではエグい映画以外、殆どTVドラマなどでは見られなくなりました)、当然にして実戦を想像することも再現することもできなくなるわけです。

それが日本人の脳の退化というものです。
幸か不幸か、その退化した想像性の乏しい実戦体感のない子供だまし脳へ、どこかの外国人あたりが『日本人の伝統なんてろくなものじゃないし、あったこともなかったことにすればみんな忘れてしまうから』と、都合のいい部分だけを切り取って、実しやかに吹聴する・・といったのが昨今の風潮です。


槍が刀より武器として有効な場合というのは、
複数人数で構えた集団攻撃のときでしょう。


昔の「やあやあ吾こそは」と名乗りを上げて対峙した時代の古臭いのんびりとした合戦では、背後を敵に取られないよう山を背に集団で扇のように陣形を取ったりしたので、合戦での槍の集団は、今でいう、とんがった具合のフェンスのような防壁として非常に有効だったと思われ、戦陣として敵を威嚇する効果があるのみならず、容易に陣形を崩さず、大将を守り、懐に入らせない役割としては、なるほど戦闘集団の表だった武器のひとつであったことは間違いないでしょう。

しかし、一旦、陣形が崩れ、バラバラな個々の戦闘となったときは、前述のような具合に、刀の素早い動きと囲まれたときの乱打戦には一定時間の空間的優位性以外では、全く刀より劣る武器だと言わざるを得ません。


それに、槍は、ひとたび突き刺しでもすれば、抜くのが大変でしょうから、次の攻撃へ咄嗟には移れません。
刀は切って引いてしまえば、すかさず次の攻撃へ移れます。

戦国時代の合戦などは野外の広い場所で行われましたから、
その場合は大いに槍を振り回して戦える利点がありました。
ですが、新撰組が暗躍した当時の戦闘は必ずしも戸外とは限らず、池田屋事件のように屋内で発生する場合もあります。
当時の京都の木造家屋は天井までの空間が狭いため、
そんなところで槍を『表立った武士の武器』として使えるわけもありません。
このことは『狭い芝居小屋の話』ではありません。
実戦上の事実です。勘違いのモトでもありません。

勘違いしているとすれば、実際の現場を芝居小屋に例えて
刀は実戦には向かず、槍こそ有効だ・・などという結論を導いていることです。

冒頭にも書いたように、前提が芝居(小屋)という発想で実戦の事実を否定する考察そのものが間違っているということです。
見た事もないのに、きいたふうなことを信じ切ってるというのが、そもそも異様なことです。

とりわけ京都の市街地などは、奥まった細い路地も多く、
不逞の輩を追いかけて仕留めるならば、槍は待ち伏せ要員として路地裏に潜み、来た相手の不意を打つ形で一気に突くという戦闘形態をとるのが槍としての有効な攻撃方法で、狭い路地に入ってしまえば、そこで槍をブンブン振り回して戦うわけにもいかなくなります。どうしますね? 刀は必要ありませんか?

笑い話のようですが、武士の魂は刀にあらず、槍であるべし!と信じ込み、仮に3人一組の新撰組隊士全員が槍を持って敵を追っかけていった場合、狭い路地で槍を使って戦闘できるんでしょうかね。槍を振り回す余地もなさそうな狭い路地で、槍の隊士一人が前後から敵に挟まれたら、どうしますね? どっちか一方にかかれば、同時に反対の一方から攻撃されることになるでしょう。狭い路地で3人同時に槍を振り回しながら戦闘できますか? 相手は刀です。槍対槍の広い場所での戦闘ではないケースです。


うっかり槍で相手を突き刺してしまったら、抜く間に後ろからバッサリやられるという、それこそが実戦ですから、自分がもし戦闘行為に及んだら・・というのを実体的に体感想像することなしに、どこかの誰かの書かれていたものを見て、刀はすぐ折れるし、脂で使えなくなるし、曲がって鞘にも入らないから、武器としては全く使い物にならない。槍のほうが実戦効果がある。刀なんぞが武士の魂であるわけもない・・などと安易に決めつけることは間違っていると言わざるを得ません。

そして、そういう認識を「書きモノ」として表に出せば、何も知らない人達が、『そうなのか』と、これまた何の疑いもなく納得して認識してしまうことのほうが、寧ろ「嘘臭い」限りだということです。

書かれている史実の多くは、
あったことを「なかったこと」にしているのが現実です。


ちゃんとあった事実をなかったことにされたがために
「あった」という側が、どれほど苦労して説明しなければならないか、本当に腹立たしくなるばかりです。


こんな刀剣だの槍だの実戦だのの話を、たいした知識もない自分などがするというもの甚だ嫌気が差すばかりだし、特に、最近は、どこもかしこもまるで「ナイナイ病」にかかったかのように、なんでも「ない」と言えば溜飲が下がって気が済むのか、「ある」といってる側を必要以上に卑下したり、嘲笑したり、
馬鹿にする態度が腹立たしい限りです。


見たわけでもなく、武士として戦ったこともない現代人が、ただ単に重たい刀を所持する傍ら、書物の言い伝えを参考にして妙な考察をし、刀剣しかなかった時代に刀を持って命を懸けて戦った者たちの存在を小馬鹿にして、「刀なんか使い物にならない」「武士の魂などではない」と決めつけるという、インテリ調の知ったかぶり論説には怒りを通り越して、吐き気をもよおすばかりです。


実践的思考や体感をおろそかにし、他人の言だの記録だのを鵜呑みにして、実戦を理解しないエセウヨそのものの考察ではなかろうか?という気がしないでもなし・・なにしろ『芝居で間違いが広がった』という短絡的考察のようですからね。


刀剣に武器としての意味も価値もなかったのならば、
何故、廃刀令や刀狩りなどが発せられたのか、
殺傷可能な危険な武力であり、武器だからこそでしょう?
そういう事実を無視し、
戦場では刀は使えませんでした・・
人殺しの道具ではありませんでした・・
刀は美術品でした・・
なんてのはあり得ないということです。

なにか遠い爺さんあたりが二振り程度で刀を折っていたことから「刀は脆い」と認識してる様子ですが、そりゃあ、ヘタクソが刀を使えばすぐ折れたりもしますよ。引き技が満足に出来ず、刀でブっ叩いてしまい、「斬る」ことができなかった証拠です。


更に言わせてもらえば、旧新撰組が戦争をした幕末期には古来の銃砲刀剣戦から近代銃砲戦への過渡期であり、当時の人間の感覚を実体感として考えれば、俯瞰でしか戦争を捉えられない現代人にとっては甚だ『荒唐無稽』だと言われようが、実際に刀を持って大砲や銃撃に対抗しようとして戦い、たいして功を奏すこともなく敗戦した結果から、「もはや刀の時代ではない」と悟ったという経過があったことは全くの嘘などでもデマでもなく、事実上あったことですが、それでも西南戦争時には抜刀隊として斎藤一などが出動していたので「近代戦争に刀は役立たず」の説も通らないでしょう。刀剣を用いた日本人ならではの優れた技芸(殺傷戦闘能力)は芝居上だけの架空のものだけの話ではありませんよ。


チャンバラ芝居と倒錯して、実戦の事実まで否定しないでいただきたいものです。

まさに『刀は飾り物ではない』のですから。

刀といっても、観賞用の殺傷能力のない、すぐ錆てしまう使い物にもならない大名刀ばかりでなく、罪人を串刺しにする斬馬刀のようなものまであったことをも考慮して、やはり、現代の場合なら長い鉄包丁などで肉をバンバン切ってみればいいんですよ。


ちなみに、自分はかつて東京で修行をしていたとき、
300人分くらいの鳥の手羽先料理を作る為、
下ごしらえで、それこそ百羽以上の鳥のむき身を一本の包丁で、まるごと胴体から脚を切断し続けたことがありますが、
黄色い脂が刃にまいてもなお相当切ることは可能でした。


刀と包丁とは重量も細工も違うでしょうが、鉄製の刃という点で包丁のほうがもし優れているならば、合戦にはそれこそ包丁でも足りたわけでしょ? 農具のカマやカンナでも軽量で済むわけだし。


しかも、太刀の場合は重量が2~3㎏もあるわけだから、
お説のとおり、『槍のほうが武士の武器としては優れていて

刀は戦闘には無意味だ』というならば、そんな重たい鉄のお飾りだとわかっていれば、なにもわざわざ命懸けの戦場に持って行くはずもないし、かえってお荷物で邪魔なだけでしょう。

ところが武士は戦場に必ず刀を持っていった。


槍が刀より優れた戦闘能力のある武器ならば、昔の戦国時代頃から江戸末期に至るまで、武士に刀は不要だったし、

刀剣技を会得する必要も全くなかったことになります。

ところが、城には剣術指南役がちゃんと居て、町には剣術道場までちゃんと存在した。護身用の帯刀だけですか?

刀の役目はファッションですか?

違うでしょ? 武士なら皆、『いざ鎌倉』・・だったからでしょ?


それだから、武芸者が武者修行を行ったことなども

『芝居の世界のこと』ばかりとは言い切れないでしょう。

芝居や小説は事実と違うのが当たり前だけれども、

実在した人物の武芸のこと(例えば宮本武蔵の五輪の書)まで嘘だと言い切るのであれば、アンタ、その時代に居たのかね?と、思わず言いたくなりますね。


それに、新撰組は徳川慶喜という将軍職をあっさり放棄した者のためだけに刀を振るったのではありません。将軍の命令がなければ帯刀も抜刀も許されなかったようなコンニャク旗本ではなく、刃の振り方を十分心得、自由に抜くことが許された浪人という立場でしたから、刀の使い方を知らない身分ばかりの武士よりも、相当に使えたわけです。3人一組で、勿論槍も交えてね。
そして、『函館戦では土方も鉄砲を撃っていた云々』とか挙げてるようですが、指揮官は『銃撃を命令監督する』立場です。
大砲にしてもそうでしょう。わざわざそんなことまで引き合いに出して「刀は使えない道具」だと決めつける材料にするまでもないことです。どういう意図があってそんなことを例に出すのかな・・と。

刀は武器としては貧弱すぎたから、たとえば新撰組の池田屋での戦闘もデタラメの嘘だし、彼らの抜刀任務も嘘に決まってる・・とでも言いたいのでしょうか? 
あれは芝居の中のことだから、「刀で闘ったことなどなかった」
とでも?・・意味がわかりません。
刀剣収集家だかなんだか知りませんが、
呆れてモノが言えませんワ。

赤穂浪士の件も、喧嘩両成敗によらずに評議された主君の切腹と御家断絶の「仇討ち本懐」という武士の宿願よりも
現代刑法の「殺人罪」だの「抜刀罪」だのに主眼を置いてるようなので、そういう人間には所詮、武士道精神など理解できるはずもないというのがよくわかるというものです。


少し前、犬HKが何を血迷ったのか
武田騎馬軍団を「なかった」ことにしたかったのか、
「ポニーのような貧弱な仔馬に20~30㎏の甲冑の鎧武者がまたがった場合、数百メートルしか進めなかった」という、本当にくだらない検証をしていたけれども、

そもそも甲斐(山梨県)の風土という環境をまるで無視したもので、そこで飼われた馬の調教過程などもまるで無視して
そういう「馬鹿」な放送を流していましたね。


甲斐の国の地形は平地が少なく山に囲まれた土地故に、路も急斜面や湾曲した場所が多く、馬はそういう道のりを日常的に登り下りし、普段は農耕馬用に使われていれば、デコボコ道も歩くし、山道も歩く。脚は太くなるし、馬力も相当なもので、そういうことを踏まえれば、調教もろくにしていない仔馬のポニーとは比較になどならないということさえ、ハナから見当がつきそうなものを、「検証ごっこ」をして知ったかぶりするわけです。

すると、「な~んだ、武田騎馬軍団なんて嘘ッパチなんだな~」と、認識してしまうといった具合の低脳一直線・・というのが現代人というわけです。

甲斐の黒駒は天皇への献上馬でもあったのですが、
その天皇家に関係する聖徳太子まで「ない」と言い出してるのが最近の現実ですから、過去にあった、お札の一万円札は、じゃあなんだったのか?ということになりますね。日本銀行券を聖徳太子像で捏造でもしていたとでもいうのでしょうかね?
「ない」という前に、太古の資料を見たりして、よく考えてみろと言いたいですね。

なにしろ、公文書改竄が朝飯前の連中が、出鱈目に「ないない」と言い張ってるような風潮ですからね。

もとは長州田布施朝鮮部落民らのクーデターが明治維新の発端なわけですから、純然たる日本人ではないのが英国の言いなりで傀儡政権を作った。それらが純然たる日本人気質では考えられないような「嘘」や「捏造」を繰り返し行ってきたわけです。国の中枢部で。そして、何故そういうことをしたがるのかと言えば、純然たる日本人の風習や文化等を抹殺し、根絶やしにして完全に乗っ取り、卑怯者である彼らの悪行を正当化するためです。

武士から刀を奪ったのも、そういう人間達の恐怖心からです。「刃を使った仇討ち転覆」を最も恐れたからです。
そして、今でも恐れているから「刀なんか」と卑下する。
精神構造は、たかが知れてますよ。

あったことを認めたくないからです。
だからできるだけ「嘘」でもなんでもいいから声を大にして、「いかにも」といった具合で否定する。
実体験もないのに、誰かのお説を鵜呑みにするだけ。
うんざりしますね。

今回の「刀」の件も、それと同様のものを感じたので、
記した次第です。


他者ブログへのコメントだけで済まそうと思いましたが、
どうにも最近の「ないない脳」には
ウンザリする以上に怒り心頭なので、
イライラが止まらず、ここへ書き込みました。


(以下は転載したヤフーブログ記事へ書き込んだコメント)


実戦の話ですが、

坂本龍馬は刀で斬られてます。

池田屋で近藤は長脇差を用意しています。

その結果を図面で記していました。

勿論、2~3人斬れば刀が脂をまいて斬れなくなりますが、それは肉をノコギリのようにしこたま切断したときで、刀を持つ指にちょいとした殺傷を加えれば、相手は構えることもできなくなるので、そういう部位を狙ってスパッと振り下ろすだけで済みます。あとは急所を突くという戦法なら刀は相当持ちます。ノコギリでギュウギュウ肉を切断するような方法で人を斬るのが戦闘ではなく、負傷させて戦力を削ぐというのが刀の役目だったというのが本筋だと思います。


西南戦争時にも抜刀隊で斎藤一が参加しています。チャンバラでブッた斬るのを前提とした刀剣戦闘が頭にある前提で、刀をいじったことのない人が「全部ウソだ」と言い切るのはいかがなものかと思います。削除


もうひとつ言えば、刀とは違いますが「刃物」として、小刀やサバイバルナイフでも複数人殺傷して殺害されるような事件があるのは事実ですから、長さや重さは違えど、やはり刀も使い方次第では相当に人は切れるとは思われませんか?真横からの刀身への打撃には脆い刀剣ですが、真剣は「引く」ことがなければ対象物を上手に斬れない。それでも少し長い包丁で数十匹魚を斬ったらもう全く切れなくなる・・なんてことはないですからね。

勿論、人間は武具を付けて戦闘に出るし、動き回るので、ムキ身の動かない身体を斬るのとは違いますから、刀でそうそう上手く人は斬れなかったとは思いますが、新撰組などは槍術に長けた者もいれば、やはり真剣の使い手がいたからこそ恐れられたわけです。武士といえどもメッタに斬れない輩が多かったわけですから。
削除


一番いいのは、書物や他人からの所見で物事を軽々に判断するのではなく、ご自身で長い柳葉包丁などで肉や魚をバリバリ切って試されるほうが実体験での認識具合は早くて済むのではないでしょうか。

そのために、砥石もあれば、伽師もいたわけですから。
刀で斬る必要がなければ、そんなものは要らないわけですから。
将軍家への献上刀も斬首後の罪人の胴体を試し斬りしてから差し出されていました。
削除



あった事実を「ない」と軽薄に断定する神経や感覚そのものを毛嫌いするばかりです。もしや、侵略戦争も従軍慰安婦も南京大虐殺も全部「なかった」ことにしたがるようなエセウヨか、その反対に「日本人は戦争で刀なんか使って殺しませんでした」というパヨ気味の発想からなのでしょうか。自分はそのどちらにも与しません。あったことは「あった」というだけ。 

日本刀の考察

 武士の表道具は槍が正しい

今日では誤られていて、戦国時代にも剣客や剣豪がいたというように伝わっている。
そして映画、テレビ、小説に剣豪が出てきて大活躍の物語が氾濫している。
だが、幕末天保時代から始まったヤクザ者のでいり(縄張り抗争)の時でさえ、「槍一刀十」という言葉があっ

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Secre

No title

日本人の武士道精神のリアルな過去も
時代劇というフィクションの物語も、
その時代に刀で生き、
死んだ人間達と
それを演じた役者さんたち。
それら全ての魂を馬鹿にして愚弄するような現代人の感覚が、物凄くいやだね。

武士道精神のなんたるかも
創作作品のなんたるかも
全く理解していないんだ。
そのくせ使えん刀なんざを美術品として見せびらかしてる。
最低だね。
血を吸った刀に会ったら、そのまま呪い殺されてしまえと思うくらいの嫌気。

No title

新撰組で槍の使い手の筆頭と言えば、宝蔵院流の谷三十郎。

血風録の谷さんの話は印象的だったもんね。

食事会の時にビビッたっけ。

物語は物語で、シナリオがちゃんとあって、
役者さんたちがしっかり演技して、監督やスタッフが一所懸命撮影して、あの時代ならばあとからアフレコしてまとめる・・という地道な作業あってのドラマ作り。

それがつくりものであることなど、みんな承知してる。

「ドラマや小説は事実じゃない!」とか言ってるだけで、もう、あ、創作作品の努力やフィクションということさえ当初から理解してないバカなんだな・・と。

そんな輩が『全部ウソ~』で片づけようとする。

二度手間でも断言するワ。

思考回路がどっかのチシキ入れただけの余程の頭デッカチ馬鹿野郎だと。

フィクションは事実と違うって当たり前すぎることをわざわざ持論で力説する必要などどこにもないってのにね。

No title

内緒さん、刀を卑下して槍重視という結論の根拠になってるのが「芝居小屋」で、「それが勘違いのモト」とか言うとるようですし、なにか教科書とか記録とかのお勉強知識は豊富みたいだけど、身体を使った考え方ではない気がします。
読んだとはいえ、ナナメ読みです。リンクで飛んで、追加ナナメ読みしただけでなんかムカムカ度が増してきて、ついつい追記が長くなりました。


現時点で午前11時30分ですが、大方付け足し完了しました。

No title

実像土方の動画のモトが架空時代劇から引っ張ってきてるものとでも勘違いしたようなのが、わざと引き合いにだしてるようにも受け取れたもんだから、生憎そんなものは参考にするまでもないということで、くだらない考察に対しても、念のためにいちいち目くじら立てたというわけで、正直、他の方面でも奇妙定説を発見していたから、重ね重ね、この野郎・・と。

それについては、しょっぱなから指摘する予定にする。
如何に定説の血脈ルーツそのものがいい加減かってことがハッキリわかる。
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