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先代を探る (The New Order 注:音響自動再生)




▼参考までにWiki引用
佐竹 義厚(さたけ よしひろ、文化9年7月17日1812年8月23日)- 弘化3年9月8日1846年10月27日))は、出羽久保田藩の第10代藩主。第9代藩主・佐竹義和の長男。母は北川氏(玲光院)。幼名は雄丸、徳寿丸。通称は次郎。官位は従四位下侍従、左少将、右京大夫。
前田 利幹(まえだ としつよ)は、越中富山藩の第9代藩主。

生誕
明和8年11月28日(1772年1月2日)

死没
天保7年7月20日(1836年8月31日)

松平近信利民利親、恵子
鋭子(
佐竹義厚正室)、栓子
育子(
加藤泰幹正室)、誼子(脇坂安坦継室)


  • 正室・勝子(1798-1812) - 養父・前田利謙の長女。実母は側室の幾勢。1810年に前田利幹に嫁ぐが、2年後に没す。
  • 継室・庸(?-?)- 松平定信の娘で、松平輝延の養女。1814年に利幹に嫁ぐも、病のため1819年に離縁。
  • 側室・八百(?-1855) - 松平志摩守家臣・佐々登の娘。和歌をよくし、藩校・広徳館の一室で子女に読み書き裁縫を教えるなどした。第一子(1803年生)夭折後、前田利阜前田利民、前田利親、誼を産む。
  • 側室・章(?-?) - 江戸の医者・柴田元意の娘。その他の子の母とされる。
  • 利阜(1804-1841)- 松平近訓の養子になり、松平近信となる。
  • 利民(1806-1871)
  • 利親(1808-1869)
  • 恵(1810-1812)
  • 1812-1840)- 佐竹義厚に嫁ぐ。
  • 詮(1813-1814)- 前田斉泰と婚約するも早世。
  • 育(1814-1856) - 加藤泰幹に嫁ぐ。正しくは金編に育もしくは常。
  • 誼(1816-1849)- 脇坂安坦に嫁ぐ。
  • 利貫(1817-1819)
  • 利威(1819-1843) 
  • 利愛(1821-1857) - 1834年に前田利和 (七日市藩主)の養子となるも病で離縁し、前田家菩提寺の大法寺 (高岡市)僧となる。
  • 利豁(1823-1877) - 前田利和の養子になり七日市藩主になる。
  • 利種(1824-1877) - 家臣・花房家の養子になる。
養子 
  • 利保(1799-1859) - 養父・利謙の子。家督を継ぎ、第10代越中富山藩主となる。20人以上の子を成す。

『越中富山の薬売り』というのは、名の知れた言い回しだ。
『石田散薬』にしても、八王子へ流れた豊臣秀吉の家臣:石田三成にも由来がありそうだ。関ケ原の合戦で三成方を裏切った小早川家秀秋の家紋は左三つ巴。豊臣の末裔の系譜に関係がありそうだ。石田家にまつわる資料は八王子にあったそうだが、第二次大戦で焼失した。

定説本によると、土方の父方の姓は『内藤(隼人)』だそうだが、いつから「土方」になったのだろう? 先代に内藤姓の者がいる・・ということだろうと思い、探ってみることにした。 

土方義豊(通称:歳三)は1835年(天保6年)5月5日生まれで
父「義諄(よしあつ)」は1792年生まれ(寛政4年)。
義豊の母「惠津(えつ)」とは同じ年の生まれ・・と定説本にある。
惠津の死没年は1840年(天保11年)

上記の佐竹「義厚(よしひろ)」と妻(正室)の「鋭(えい)」も、
生まれた年が夫婦とも同じで1812年生まれ。
鋭の死没年は1840年(天保11年)

「鋭」という字に似ている字体で「鈌」(エツ)というのがある。

「鋭」は前田利幹(としつよ)の娘で、
鋭の上には僅か2歳で早逝した「恵」の名がある。

佐竹義厚の父が義和(よしまさ)で、
義和の父の名は「義敦(よしあつ)」。
佐竹義敦は出羽久保田藩8代藩主で画家でもあった(38歳で早逝)。

佐竹氏は関東八屋形にも所領を広げている。

土方義豊の父義諄(よしあつ)と、母惠津(えつ)の名を記すなら、
その先代も示せるはずだが、土方の定説本には載っていない。

土方家は豪農だったそうだが、農家の女性の名が「漢字」であること
自体がそもそも、妙だと思わないか? 
歳三の姉は「ノブ」、養母は「ナカ」(農民ならこんなものでは?)。

そして「義」の字を引き継ぐという武家ならではの承継具合もある。
先代からの系譜が必ずあるはずだ。
そこを曖昧にする理由は何か・・ということにつながる。

土方義豊を語るのであれば、出生の先代につながる系譜から
何故、土方家の家紋は「左三つ巴」なのか、
その由来を過去に遡って示してほしいものだが、全くない。

ちなみに新羅三郎義光から小山氏を祖とする長沼氏などは左三つ巴だ。
佐竹氏にもそこらへんの血が合流しているとは思わないのか。
武田~上杉~豊臣秀頼の時代には実際領地没収から分裂している。

とにかく何の疑問も持たずに、本などに書いてあることを鵜呑みにして
知ったふうな推測でお茶を濁す・・というのはヤメにしてほしい。

資料があるはずなのに、敢えて隠しているのではないのか?

当の昔にわかっている些細なことまで「不明」とか「隊士X」とかにしているのを見ると、それ以外の詳細な記述との矛盾を感じるばかりだ。
崩し字や漢文の資料を連ねることで実しやかに都合良くまとめている。
当時の錦絵に書かれている文字のほうが、余程内容がわかる。

原本の文字は、現代でもある程度判読可能な体裁だったものを、
写す際に、わざとミミズが張ったような崩し字や漢文調にして、
一目では何が書かれてあるのか読み難くなっている。

義豊の代筆をした本人が表現する『狂証人』というのは多分に本音だ。
本人のものとは明らかに筆跡が違う。義豊の字はヘタクソの域だ。
書き癖の区別も見極められない歴史愛好家もいて変な解説をしていた。

隼人(代々医者の家柄に付く呼称)「義諄(よしあつ)」と、
その妻「惠津(えつ)」の生年月日や死没年がわかるくらいなら、
その先代の名や、系譜、そして家紋についてのルーツを示せるはずだ。

『八王子の辺りは武田菱が多いし、三つ巴にしてもそんなもんだ』では
家紋や系図の流れを示す上で、なんの解説にもならない。

しかも、確か定説本の解説では、甲州攻めの折、土方は父方の姓である『内藤隼人』を名乗っていたという記載もあったが、父方が『内藤』なら、いつからどうして「土方」になったのだ?と、普通なら疑問に思うところだ。『内藤』姓の系譜が土方のルーツにあるからそう解説されているのだろうけれども、先代については何ら詳細な記述はない。

ただし、それもよくよく調べてみれば、手がかりもあるし、
その手がかりによって、何故『内藤』なのか、凡その見当もつく。

専門家の歴史学者ならば、当然既知の範疇であろうはずが、
敢えてそこには触れず、ただ『内藤』と記すだけに留めている。
解説をするなら、出した名称の血脈ルーツを示してほしい。
それとも、示せば「隠した」ものが出てくるから出せないのか?

『ネットの情報なんか、みんな嘘だ』と言うのなら、
既存の解説を詳細に説明すれば済む話だ。
ちゃんと示さないから、変な疑問が生じる。

いろいろと独自に調べてみると、いつも同じラインに辿りつく。
軽薄なデマや嘘ッパチを述べるわけにもいかないから、
できる範囲ながらも懸命に調べてみた。
史実以外にも美術的な側面も踏まえて確認してきた。
その過程で、見つけたものは表に出そうかな・・というだけのこと。
あるものを素直に出さないほうが寧ろ変だと思う。

定番の定説だけ刷り込んで、どうしてそうなのか?と疑問も持たず、
「そう書いてあるから、そうなんだ」と毎度毎度教科書の正解を確認だけして追及しようともしないのは、もはや研究者ではないだろう。

確たるルーツも知らないのに「そんなもんだろう」と信じ込んでいる。
曖昧なのに、容易に信じ込み、それ以外を探ろうともしない。
判明していないから探るのに、何故か探られることを迷惑がるという。
推定は単に推測であって、確定事実ではない。だから信じられない。

経過から入らず、人相を確かめるまでには、3年以上かかった。
4年前の5月5日早朝、自分の父親は眠るように静かに生涯を閉じた。
認知症の上に癌と糖尿病だったが、心臓の鼓動が続く限り、体力と気力の限界まで生き続け、自分の足で歩行し、遂に力尽きた。

まるでその目が閉じるのと引き換えに、歳三画像の目が開いた。
その時点ではまだ曖昧だったので、鮮明になるまで相当苦しんだ。
それ故に、軽はずみなものではない・・ということだけは確かだ。

画像の照合は、字面の推察以上に真に迫る成果を見せることを約束する。論より証拠という類のものだ。ただしそれも、どうしてそうなっているのか・・と、出てきたもの自体については判断しかねるから困る。

歳三に関しては、死んだこと自体も曖昧で、誰も目撃していないし、
正確な場所もはっきりしていない。遺骨も遺髪も何もないのに、定説本には「この物語」を伝えるよう安富才助から指示が出されたという経過が載っている。

事実であれば「物語(ストーリー)」などとは言わない。
「このこと(事実)」を・・と言う。

凾館で没した伊庭八郎の亡骸は土方の墓の下にある・・というのは、
後の錦絵でも面白い形で示されている(「伊庭七郎」と一文字変えて解説が付されている。伊庭が隻腕になった経緯が解説されているだけでなく、屍の場所を指し示すかのような構図になっている)。

形ばかりの三つ巴(左右が逆)の墓に、土方本人の骨はない。

単なる思い違いで、なんの関連もないかもしれないが、
義豊(通称:歳三)は幼少時、家に竹を植えている。
父方の系譜が佐竹氏ほか分裂した藤原北家の一族に通じるとすれば、
母方の系譜を遡れば正体が見えてくる・・・というところへ通じる。

以上、ちょっとした考察のひとつ。

鳥羽伏見戦に引き続き、甲州勝沼柏尾戦のトーク動画を出す予定。
「脆すぎる敗戦」というわかりきった経緯なので、なかなか億劫。
そんなものでも出すべき理由がある。後々の「伏線」として・・。

※ブログBGM用(音が煩い場合、調整可)。
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Secre

No title

出生や死没年月日だけを見ていれば正体に辿りつけない(ようになっている)。

続いている大筋の血の流れも、文字の写し間違いなどで穴がある。

「聞き書き」なんかは特に意味そのものが違ってくるはずで、あんまりアテにならないものの、頭の中で漢字を変えれば意味が通ったりするから面白い。
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