テレビはもう放送として必要ない。
先日我が家にJ ・COMが通信回線の調査に来ました。
JCNとJ:COMが合併したので、機器類が不都合を起こしていないか。という調査でした。
何も問題はありませんでしたが、まだ23歳の若い技術者で、他のことにも話題が及び、「ガラケー」は持たれていたほうが良いですよ。
最終的に通信が出来るかどうかですから、便利さや使い勝手が良いといってもスマホは電池の消耗は早いし、アプリを余り使わなかったりする人には殆ど利用価値がありませんからね。
というような話をしてくれたので、○○さんはお若いですからご存知と思いますが、テレビ局の「電波オークションてご存知ですか?」と訊いたら、いえ、知りません。
ということで簡単に説明しました。
今、全国全てのテレビ局が国に払っている電波料の合計は年間45億円ほどです。
替わりにみんなが使っている携帯電話の電波使用料として年間500億円払っていますが、金額が45円/月ほどですから気が付かないだけなんです。
そんなことで、電波料を局ごとに落札(オークション)にかければ数千億、数兆円という金額で落札され、それが国に入ることになるのですが、そうすれば消費税を増税などしなくても財政は楽ですよね。
「ああ、そういうことですか、知りませんでした」ということで、では新聞社がテレビ局を傘下にしている日本のテレビ局経営に「クロスオーナーシップ」の禁止制を導入するとどうなるかご存知ですか?
「いえ、そのことそのものがどういうことか知りません」ということで、これも簡単に説明しました。
新聞は活字媒体で「表現の自由」が保障されていますが、テレビは公共の電波を使っているわけですから、親会社の新聞社の偏った論調で報道することは、ジャーナリズムを封鎖することになりかねない。
ということで外国では固く禁じられています。
そんな話をして、「あなたのような若い方はこのようなことをご存じないですか?」と訊くと、「ゆとり教育のせいでしょうか、今の仕組みに疑問を感じたりすることは殆どありません」ということでした。
そこで、ついでに、もっと身近で分かりやすい話をしましたが、それはテレビ番組の仕組みです。
「あなたの会社はテレビ放送と通信と両方運営していますね」
そこで、社で会議があったとき、ある利用者がこういう話をしています。
と話題に挙げてください。と言い、新聞のラテ番を見せて、「この番組表の中の多くは、編集しているものが多いですね」
それが時間軸に沿って番組が放送されているのですが、今時可笑しいと思いませんか?
と訊くと「何か問題でも?」という顔です。
あなたの会社は通信をやっていますね。
編集したコンテンツをいちいち時間軸のテーブルに載せてその時間が来ないと観ることが出来ないというのは何か矛盾を感じませんか?
通信がこれだけ発達しているわけですから、その「番組」をサーバーに入れておき、見たい人が見たいときに見ることにすれば、その時間に家に帰ったり、録画予約などしなくても、自分が見たいときに自由に観ることができる。
それが通信を利用する便利さ、と思いませんか?と訊くと、ここで「成る程そういうことですね」
そんなこと考えたこともありませんでした。と言い「お客さんはこのような仕事をされているんですか?」と訊かれましたが「イエ、全くの素人です」。
テレビが出来る唯一のことは「ニュース」や「天気予報」や「災害の警報・警告」や「スポーツ中継」や「音楽のライブ中継」や「祭りイベントの中継」のようなリアルタイムであり、編集したVTRを時間で流すなどもう時代遅れと思いませんか?
実はこのことは若い人たちは十分知っていると思っていたんですが私の認識不足でした。
これではAKBの仕掛けに踊らされてCDを大量に買うというのも頷けるわけですが、これは私だけがそう思っているのでしょうか。
因みに、昨日のラテ番で、編集したものや再放送を白くマスクしてみたのが下です。
左の列からNHK、NHK Eテレ、日本テレビ、テレビ朝日、TBS、テレビ東京、フジテレビ、ですがお昼の時間からスキャンしました。
NHK Eテレは深夜の放送が無いため、広告が挿入されています。
白地の部分はほぼ編集された番組です。
もし、PCや視聴者側からアクセスして見るようになれば、この白地のスペースは全部広告で埋まります。
そして、参考になるのが赤い枠のNHK Eテレ午後1時から3時までの「高校口座」日本史、世界史、地理ですが、これは高校通信講座に使われているのか、内容が今年度から変更されたので、放送しているのか分かりませんが、これは事後でもPCから見ることは出来るのです。
私は日本史などは以前DVDにコピーしていましたが、そんな必要は無いのです。
好きなときに、こうやってPCから見る事が出来るわけです。
民放も含めて「編集物」はこれで良いし、ドラマなどで、3回目のものをもう一度見たいわ。などというときは簡単にクリックして見ることが出来るしスマホなどではやりだしているんではないでしょうか。
今のテレビはチューナーが付いていますが、PCから大きなモニターに繋げば、チューナー付きのテレビは必要ないわけで、モニターとしてなら価格も相当安くなるでしょうね。
では、こんな簡単なことを各局は何故やらないのでしょう。
それは、「視聴率」にすがり付き、スポンサーからシコタマ金を取ることが当たり前としてきたことが出来なくなる。
PCから又はデジタルリモコンから見ることになると、視聴率の実体がバレテしまう。
そうなるとスポンサー料やCM料の設定が大幅に狂い、テレビ局の経営そのものが脅かされる。
そんなことはしたくない。
というのが、本音ですね。
転載元: country-gentleman
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No title
あともうひとつ(^^ゞ。
ニュースはリアルタイムといっても、
やはり編集されているので、
アベネタを毎日好き好んで放送する犬HKのようなものばかり放送されては困りものです。
なんにしても、もうTVに時間割りどおりにすがりつく時代は終わりを迎えていますから、
共通のネタで騒ぐのは、むしろネットが主流のようですね。
そういうところからも、時々、遠ざかりたくなる自分です。
日本人は、つくずく集団で徒党を組むのが好きな人種のようですから、自分のような、どこか変わり者の個人主義者には、ついていけないときが多々あります。
自分にとって、どうでもいいような井戸馬鹿会議には、
特に疎遠でいたがってしまうタチです。
ニュースはリアルタイムといっても、
やはり編集されているので、
アベネタを毎日好き好んで放送する犬HKのようなものばかり放送されては困りものです。
なんにしても、もうTVに時間割りどおりにすがりつく時代は終わりを迎えていますから、
共通のネタで騒ぐのは、むしろネットが主流のようですね。
そういうところからも、時々、遠ざかりたくなる自分です。
日本人は、つくずく集団で徒党を組むのが好きな人種のようですから、自分のような、どこか変わり者の個人主義者には、ついていけないときが多々あります。
自分にとって、どうでもいいような井戸馬鹿会議には、
特に疎遠でいたがってしまうタチです。
No title
ジェントルマンさまの記事を転載。
TV屋や、そのファンから怒られるかもしれないけど(^^ゞ。
『デモクラTV』(ネット放送)の番組でも、
もとデンツー広告マンが、TV広告枠についてネタバラシしています。
島国・日本の国民性というのは、
みんなで同じ時間に同じものを見てるという共有感覚を持ちたがるせいか、
その内容に共鳴・共感した場合などは、
みんなで一斉に、その話題についてアーダコーダ言いながら、
持論を述べたり、噂したり、評価したりして、
とにかく溜飲をおろしたがるのが、
井戸端会議的な「庶民の楽しみのうち」でもあるので、
余程の「世捨て人」や、個人主義的に我関せず…な人ならともかく、
常に「周囲と一緒」に同調したがる人々や、
常になにかと「繋がっていたい」人々などにとっては、
どんなにTV番組の内容がお粗末なものであったとしても、
共有感や共通のネタが失われてしまう事態になることは嫌がるだろうし、
消滅してしまうようなことになるなど、耐え難い(許し難い)のではなかろうかな…と、
反対方面の思惑も察してみたりします(^^ゞ。
TV屋や、そのファンから怒られるかもしれないけど(^^ゞ。
『デモクラTV』(ネット放送)の番組でも、
もとデンツー広告マンが、TV広告枠についてネタバラシしています。
島国・日本の国民性というのは、
みんなで同じ時間に同じものを見てるという共有感覚を持ちたがるせいか、
その内容に共鳴・共感した場合などは、
みんなで一斉に、その話題についてアーダコーダ言いながら、
持論を述べたり、噂したり、評価したりして、
とにかく溜飲をおろしたがるのが、
井戸端会議的な「庶民の楽しみのうち」でもあるので、
余程の「世捨て人」や、個人主義的に我関せず…な人ならともかく、
常に「周囲と一緒」に同調したがる人々や、
常になにかと「繋がっていたい」人々などにとっては、
どんなにTV番組の内容がお粗末なものであったとしても、
共有感や共通のネタが失われてしまう事態になることは嫌がるだろうし、
消滅してしまうようなことになるなど、耐え難い(許し難い)のではなかろうかな…と、
反対方面の思惑も察してみたりします(^^ゞ。